ひらく、積ん読、かさねとく。

ただの読書録って言ったじゃない

【抜粋】「贈与論 他二篇」(2014)マルセル・モース,森山工訳 ③

p.393 結論
倫理に関する結論
“わたしたちの倫理にして見目も、(中略)贈与と義務と自由とが混ざり合った雰囲気のなかに、相変わらずとどまっている。
何もかも売り買いという観点だけで分類されるまでにはまだなっていない。
Ralph Emerson On Gifts and Presents「贈り物とプレゼントについて」⇒施しが、それを受け取るものを傷つける。
招待に対するお返し、「礼」に対して「礼」を返す、人間関係の基本をなすモチーフ。
同性の人どうしの競合関係であり、人間にとって「基底的な他者支配への志向」(アンペリアリスム・フォンシェ)
わたしたちの社会生活という一種独特なこの生にあっては、
「借りを返さないままでいる」(レステ・アン・レスト)というのは、許容されえないことなのだ。”

p.425 贈与によるヒエラルキー
“与えるということ、それはより大きくあることであり、より高くあることであり、(マギステル(magister)(主人))であることである。
これに対して、受け取っても何もお返しをしないということ、
もしくは、受け取っても受け取った以上のものを返さないということは、従属的な立場に身を置くことである。
それは、相手の子分、従僕になることであり、より小さくなることであり、より低い地位に身を落とすことなのである(ミニステル(minister)(従者))。”

p.432 
“最良の経済の方法が見つかるとすれば、それは個人個人がみずからの欲求を計算することのなかに見つかるものではない。”
p.433
“自分のためだけでなく、他人のためにも誠実に労働をおこなえば、
生涯にわたって誠実に俸給が支払われるという確信を人々がもつようにならないかぎり、
もはや人々をまともに労働に従事させることはできないということを、わたしたちは分かっている。
(中略)すなわち、自分が交換に出しているのはたんなる生産物、たんなる労働時間以上のものであるのだと。
自分は自分自身の何ものかを与えているのだと。自分の時間や自分の生を与えているのだと。
だからこの贈与、これに対してこの者は、控えめにでもよいから報いを得たいと思うのだ。
そして、この者に対してこの報いを拒みでもすれば、この者のやる気を失わせて怠惰に追いやり、その生産性も低下させることになるのである。”